うつ病と大学院生の日記

大学院在学中にうつ病を患った一人の人間。そんな凡人が書く日記。

18.雨の憂鬱

ここ最近、雨の日が多い。台風がやってきているらしい。おかげで頭痛はするし、気持ちも下がり目だ。中間発表まで一週間もないというのに、モチベーションが上がらない。

 

雨の日は好きだった。お天道様に「引きこもっていいよ」と言われているみたいで、どこか安心感があった。だけど、最近は雨の日を疎ましく思う。うつ発作が激しいときはとことん休むけど、元気なときは外に出たい。しかし外に出るだけでも割とエネルギーを使う。そこに雨がプラスされると、より一層外に出る力が必要になる。制作も追い込まれている現在、研究室に行かないといけない日が多いのに、外に出たくなくなるというのは、かなり困る。雨の日を恨めしく思うことが多くなった。

 

うーん、心の調子が良くない。うつの波が来るときは何となく分かる。あ、テンション下がるなこれ、と本当に何となくだけど心のSOSに少しずつ気付けるようになった。まぁだからこそ焦るわけだけど。デッドラインは日に日に近づいてくると、落ち込んで布団の中に潜っている場合じゃないぞ!って、もう一人の自分が囁く。やめてくれ、どうしようもないんだ、動けないんだ。そう反論しても、焦りや不安が自分の尻を叩いてくる。

 

雨の日が多いからか、単純に下がり期なのかは分からないけど、精神が安定していないことは確か。冷静に文章を書いているように見えて、かなり動揺している今。

 

最終発表まであと二ヶ月。本当、よくここまで頑張ったねと、自分を褒めてやりたい。というか褒めてあげないと、あらゆるものから逃げたくなる。もう少し、もう少し。もう少しで全部が終わる。苦しみ抜いた3年間。辛く、地獄のような今の環境から、もう少し逃げ果せる。いつか必ず終わりはやってくると信じて、少しずつでいい、ちょっとずつ前に進む。

17.何もしないということ

前回の更新から少し間があいてしまった。最近の精神状態は割と安定していると思う。徐々に肌寒い日が増えてきて、最終提出日までの時間の無さに焦りもするけど、どうにか手を動かすことはできている。


先週の診察時、初めて屯服(とんぷく)薬という、不安時に飲める特効薬を処方してもらった。夕方になると急に大きな不安に襲われることが多くその度に飲んでいるのだが、結構効き目が良い。頭の回転は多少鈍るものの、比較的冷静な判断ができるようになる。クリニックの先生曰く、16:00は虎の刻と呼ばれていて、頭のサイクルが乱れる時刻なんだそうだ。かつては神隠しが起きる時間として恐れられていたのだとか。


何もしない日、頑張らない勇気が大事だと思うようになったこの頃。勿論、良いものを作るには一寸の時も無駄にできないし、作業時間は多いにこしたことはない。しかし。しかし、だ。エンジンをかけっぱなしでは体はいつか壊れる。心も同様に、着実に擦り切れていく。心は目には見えないから、その黄色信号に気付くことが難しい。


だから、たまには緊張の糸を意識的に切ってみる。今日は頑張らない日と、自分の中で認める。何時に起きても良い、テレビをみても良い、コンビニ飯でも良い、ダラダラ寝ても良い、youtubeで漫才を見ても良い、漫画でもアニメでも、好きなものを手にとってしまって良い。これは決して無駄な時間なんかじゃない。積極的な空虚といえば格好がつくか?


体と心を意識的に休ませる時間は、とにかく必要。そう思う。とにかく床に伏せていた夏の頃から比べると、自分の休ませ方も成長したもんだと思った。



16.ダメ院生

ここのところ、とにかく手を動かして作業、作業、作業の毎日であった。心の調子は以前よりかは良くなっている気がする。薬が効いてきたのか、はたまた制作の調子が良くなってきたのか、定かではないが、心が安定しているのは良いことだ。しかしながら、毎回ゼミの前夜にストレスで嘔吐するのが習慣的になっているのは残念なことだと思う。客観的に。

 

最近になってDI(=ダメ院生)という言葉を知った。2ちゃんねるで500近いスレッドがたっている。対義語はEI(=エリート院生)らしいのだが、自分はどちらだろうか。はっきり言えるのはダメ院生ではない、ということだ。虚栄心とか見栄とかではなく、シンプルにそう思う。自分がダメ院生と名乗っていけない気がするのだ。本当のダメ院生にはある種の憧れめいた感情をもつ。

「なんとかなるでしょ」とか「まぁ大丈夫でしょ」とか、窮地に立たされている状況で、プライドを投げ捨て自分本位に生きるその姿勢に、関心する。自分は、ちっぽけなプライドをかかげ、それを必死に守るかのように優等生ぶって、そのくせ能力は低いもんだから簡単なことで傷つくし、真面目すぎる性格もあって、転げ落ちるように鬱になった。

真性のダメ院生が備える図太さ、適当さ、それでも何とか生きていくことのできる生存能力。とてもじゃないが真似ることができない。そういう意味で、自分はダメ院生ではないと思うのだ。ダメ院生の肩の抜き方は本当に尊敬に値する。

しかし、だからといって自分はエリート院生、というわけでもない。どちらにも振り切れていない、中途半端な人間。単なる真面目ちゃん、といったところか。なんとも煮え切らない気持ちでいっぱいだ。

 

10月に入って、修士制作が収束していくのを感じる。まったくもって仕様もない、汚い作品ではあるが、先生の助力もあって少しずつ形が見えてきた。そろそろ風呂敷をまとめにかかる時期に突入した。ここまで至るのに、どれだけの壁を乗り越えてきたことか。どれだけの艱難辛苦を味わってきたことか。

 

長かった。終わりのゴールテープが少しずつ見えてきた。あともう少し。きっとこの文章を読まれている学生の方々も、同じように苦しみを抱えていることと思う。皆それぞれ、それぞれの次元の中で苦しみ、悲しみ、泣き喚いてきたと思う。それでも、いつか終わりがくる。何とか、底辺に近い人間なりに乗り切っていきましょう。全部終わったら、皆で乾杯しましょう。

 

あともう少し。歩みを進める。

15.締め切り前夜

表題の通り、この文章は締め切り前夜に書いている。というか、当日。そう、ゼミ直前の徹夜っていう状況。締め切りあるあるだ。現在、深夜の3:30を回ったところ。

 

こんなとこで油売ってないで作業しろよ!!という声が聞こえてきそうだが、今しか残せない言葉があると思う。まぁ正直にいうと頭が完全にショート、パニックに近い状況にある。非常にマズいだと思う。文章にするといかにも冷静なように思われるだろうが、冷や汗で服はずぶ濡れだし、指先が小刻み震えている。心臓は小動物なみのスピードで鼓動していて、顔の油は火をつければ今にも豪炎をあげそうだ。涙がでる。目が回る。頭が痛い。抗うつ剤の効果が切れているのが何となく分かる。

 

今日一番驚いたのが、ストレスで吐いてしまったことだ。急な吐き気を抑えられず、便所にかけこんで胃の中のものを吐き出した。嫌なオレンジ色をしていた。

 

なぜこんなにも悲しくなるのか。。。不甲斐なさか?自信のなさか?いや、答えははっきりとしている。先生が怖い。これに尽きる。過去に聞き続けた怒鳴り声が、いくつも頭の中でフラッシュバックする。

 

先生に恐れおののきながらも、9月までやってきた。最終提出まであと三ヶ月。思い返せば何度中退を考えたことだろうか。何度逃げ出したいと思ったことだろうか。何度、死にたいと唱えたことだろうか。

 

消えてなくなりたい。だけど、逃げなかったからこそ、今の苦悩がある。

 

もう休むべきか。体が限界を訴えている。今の精神状態では戦えない。だけど、戦うしかない。プライドは捨てろ、恥を覚悟しろ、馬鹿にされても平気だと思え、大学院なんかよりも自分の体と心は一生ものだ。そう自分に言い聞かせながら、あともう少しだけ頑張ったら、睡眠薬飲んで寝る。大丈夫、きっと大丈夫だ。

14.人に会うこと

うつ状態が続くと、外に出ることはおろか布団の中から這い出すこともままならない。じっと布団の中で、1日が終わるのを待っているだけ。制作なにも進んでない…進捗がない…ゼミ怖い逃げたい…という思いと、陰惨な過去の体験が妙にフラッシュバックする。先生の怒号、叱咤、罵倒、人格否定などなど。

 

そういう状態で日々を過ごしていると、調子が良いとき、活動時間の全てを制作(あるいは研究)にあてたくなる。焦りからくるものかもしれない。元気なのだから、遊ぶなんてもってのほか。生活リズムだけは守りながら、起きている時間は全て卒業のための活動に割いてしまう。

 

だけど、なんか違うと思った。元気でいるときこそ、遊ぶ、というか心を自由にしてあげるべきではないかなぁと思ったのだ。今まで、友人との約束はことごとく断ってきたけど、もっと人と会う時間を大切にしたい。長い目で見れば、今やっている制作or研究なんて、あと4ヶ月程度で終わるもの。しかし友人との繋がりは、自分が生きていく上で一生くっついて離れないもの。少しだけ広い視点で自分のちっぽけな人生を眺めると、人と会う時間こそ優先してしかるべき大切な時間なのではないかと気付いた。まぁもちろん、会う元気がなければ断ってしまうし、制作or研究の時間を無下に減らしていいとも思っていないが、それでも、もっと積極的に人と会って、色々話して、遊んだ方が有意義に生きていけるのではないだろうか。

 

そんなわけで、先週と今週は友人と会う時間が多かった。三日程度、寝込んでしまう日もあるけど、元気なときはもっと人に会いたいと思った。現実逃避と言われてしまえばそうだけど、やっぱり人との繋がりは大事にしていきたい。

13.休むこと、休み方

今週は体調が優れず、週初めはほとんど布団の上で過ごしていた。やらなければならないことは確かにある。だけど「それが正しい方向に向かっているのか」「無駄なんじゃないか」「何の意味があるんだ」とネガティブ思考に脳みそが完全征服されてしまい、「何が分からないか分からない」状態まで落ち込んでしまった。落ち込んで無意に流れていく時間によって、更に自己嫌悪という厄介ものが上乗せされる。

 

今日は病院の診察日だった。概ね、2週間に1度のペースで通っている。先生に「落ち込んだときは、どうやって休んだらいいですか、休み方が分かりません」と率直な思いを伝えたところ、

 

「休む時間をタスクだと考えると良いと思います。休む時間を無駄と考えない。少しずつ良くなっていきますから、無理せず安静にしていて大丈夫です。」

 

とのこと。何となくだけど気持ちが少し楽になった。風邪をひいたら床に伏せるのは当然だし、骨折したら安静にしておくことが大切。うつは目には見えないから、怠けてみえてしまう、当の本人もこれは甘えじゃないか、って思ってしまう。だけど、休んでいいんだ。心が宿る体を大切にしながら、調子が悪ければ素直に休んでいい。休むことが仕事。

と、まぁ考えることは簡単だけど、実際の行動に移すのは結構な勇気が要る。頑張らない勇気というか。勿論、体を休めている間にも差はつけられてしまうけど、そんなの関係ないだろうな。他人がどうとかじゃなくて、自分は自分。卒業することが目標。他人よりも偉大な功績を残したいわけじゃないし、褒められたいわけじゃない。恥をかいたとて、泥まみれになったとて、どうしても修了したい。なんとしてでも。

そんな感じで、少しだけ気力が湧いてきたので、本でも読もう。処方される薬は増えてしまったけど、落ち込むことはない、と自分に言い聞かせる。

12.生活リズム

最近の生活リズムは非常に安定している。朝6:00に起床し、洗顔・歯磨きを済ませ、NHKでやっている朝のラジオ体操を15分程度行い、朝食をとる。この後、学校に行ったり、思いっきり家で休息をとったりする。ここ三日くらいは学校に行けている状況だ。夜は日付が変わるくらいには床につく。

安定した生活リズムは重要だ、なんて耳にタコができるくらい聞いたことがあるけど、やはり百聞は一見にしかず。実際にやってみると、意外にも精神状態が安定する。朝日を浴びることもそうだし、暗い気持ちになりがちな夜をスキップすることができる。

まぁ、このリズムも病院からもらった睡眠導入剤のおかげなんだけど。

 

ここ最近で少し精神が安定し始め、卒業後の進路についても考えるようになった。というか、考えることができるようになった。これは進歩だと僕は思っている。就職先が決まっていない以上、修士制作を提出した後に就職活動を始めないといけない。そのために自分の作品集(建築系でいえばポートフォリオと呼ばれるもの)もまとめないといけない。バイトもしないと食いつないでいけない。

とまぁ、少し先の未来に思考が巡るようになったのは良いけど、結局は悪い循環に陥ってしまう。ネガティブな思いが脳内を堂々巡りし始め、不安で押しつぶされそうになる。前と比べて精神状態は安定しているものの、そのせいか未来の不安まで思考の射程を広げてしまった結果、どうしようもない焦燥感で埋めつくされる。というようなことを通院している病院の先生に報告したら、心が落ち着く話をしてくれた。

(僕なりの見解なので、一言一句が先生の言葉ではないけど)「今を生きると良いと思う。未来のことまで考えが及んできたのは良い兆候だけど、不安を連れてきてしまうなら未来のことはまだ考えない方が良い。それは過去も一緒で、反省や教訓をすくい取ることは確かに大事だけど、後悔の念を抱いてしまうなら過去のことも考えない方が良い。ハッピーな気持ちになるような思い出や将来のことを考えることは良いけれど、ネガティブを伴うものは極力考えない。だから、今を生きる。」

そういえば松岡修造も同じようなことを言っていた。(youtubeで「松岡修造」と打てばその辺の動画は出てくると思う。)「今を生きる」っていうのは、そういう風な捉え方もあるのだなぁと、少し目から鱗がこぼれた気分になった。つまり「今を生きる=暗い過去や不安な未来については考えない」。なんとかなるでしょうと、軽い気持ちで構えていればよい。何も意気込む必要はない。気軽に、気軽に、気軽に、今だけを見つめる。