うつ病と大学院生の日記

大学院在学中にうつ病を患った一人の人間。そんな凡人が書く日記。

11.一日の過ごし方

うつ病大学院生の、一日の生活。休学はしていない。既にしたから。訳あって学校は閉鎖期間に入っているため、家で作業をするしかないが、何も手につかない状態なので、最近の過ごし方を記してみる。

 

朝。7:00くらいに起きる。シャワーを浴び、朝ごはんを食べ、一回目の薬。そしてテレビをつけてニュースを見る。さぁここから一日の活動開始か、と思いきや、実のところこの時点で体が疲れている。もう一度布団をわざわざ引きなおし「焦るな焦るな」と瞑想(?)に入る。何も手につかないまま、寝ているわけでもなく、お昼を迎える。

 

昼。昼ごはんは13:00くらいだ。おおむねコンビニ飯。食生活から見直すべきなのかもしれないと、いつも思ってはいるけど行動に移せない。お昼ご飯の後に二回目の薬。パソコンに電源をつけ、youtubeにアクセス。お笑い動画でもみて元気を出そうと思うも、だいたい飽きてパソコンを閉じる。散歩でもしようか、いや、作業しなくちゃなって思うけど、なんでかな、本当に手が動かない。寝ているわけじゃないけど、ボーっとしてしまい、日が暮れる。

 

夜。晩御飯を食べて、三回目の薬。うつに効くアプリとかヨガとか、調べたりはするけど調べた時点で疲れている。ぼんやりしていたら、もう日付が変わる時間。睡眠薬を飲んで、一日が終わる。

 

う〜ん、ひどい一日だと思う。悲しいけど。8月はだいたいこんな感じだ。起きる時間が変わったり昼寝が入ったりするけど、おおむねこんな感じ。ぼーっとしている時間が長い。おそらく、こんな生活をしている夫がいたら、女房は本当にイライラするだろうなぁ。事実、僕もうつ病が原因で彼女と別れたし。

 

どうしたらいいか、自分でも分からない。どっぷりと沼に浸かっているような疲労感。早く陸に上らなくちゃって、もがけばもがく程、深く沈んでいく。こういう状況になってしまった他の人たちは、一体どうやって過ごしてきたのだろうかな。どうやって抜け出してきたのだろうかな。休むしかないのかな。

10.無能

8月に入ってから、一度も集中して作業に取り組めていなかったことに気付いた。SNSではお盆ツイートに嬉々としている連中や、陽気な調子で連絡してくる旧友に、どこかモヤモヤした気持ちというか、正直イラついてしまっていた。SNSで落ち込むことは良くない。そんなことは分かっているし。「元気そうじゃん!」なんて言ってくる友人に、「元気な期間だから外に出てんだよ」って、尖った言葉をぶつけたくなる。今まではこんなことなかった。人に、しかも親しい人に、イライラするなんてことはなかった。

 

薬の量が増えた。睡眠導入剤の量も倍になった。確かにそれで眠ることはできるけど、一日中眠い。集中力がない。何も手につけられていない自分が、本当に情けない。体の上に鉛でも乗っているかのように、体の動きが鈍くなる。建築のことを考えるだけで、頭が痛くなる。何をしているのだろう。

 

食事をしているだけでも罪悪感が強く、涙がこぼれた。頭の上から、「何もしてないのに飯は食うのかよ」「家畜と同じだな」「無能め」って、嫌味な自分が責め立てる。ばーかばーか、うるせーよ!って、何とか振り払っても、希死念慮を少なくすることができただけで、進歩はない。マイナス要素を減らせただけで、立ち止まったままだ。

 

ゼミまで残り6日。進捗なんてない。作業なんてしていないのだから当然だ。本だって、読む気になれない。多分、うつ病と闘いながら仕事や学業をしている人にとって、デッドラインは、言葉の通り「死の線引き」だ。何も手につかない。それでも、締め切りだけはやってくる。言い訳して逃げればいいのか。泣き喚けば理解を仰げるのか。どうしたら、どうしたらって。焦る自分がいる。

09.8月の憂鬱

8月は大雨の日が、他の月に比べて多い。低気圧のせいかどうしても頭が痛くなる。そんな日は気分も落ち込み、何に対しても手をつける元気が出ない。クリニックから処方されている薬(精神安定剤)はちゃんと飲んではいるが、流石に頭痛までは緩和されない。

8月になると、中だるみをよく感じる。修士制作の提出期限まであと、4ヶ月。僕個人といしては、よくぞここまで頑張ったなっていう印象。成果物は小さいなりにも少しずつ出せてきたし、4月のころとは大違いだと思っている。気持ちが安定しないことに変わりはないけど、死にたくなる程辛くなるという状態は、ちょっとずつ避けられている気がする。ただ、布団の中で包まっている時間は、相変わらず長いと思う。無気力、、、多分この言葉が合っているのかもしれない。

元気なころの自分って、どんな感じだったのか、今となっては全く思い出せない。高校の友人に会っても、かつての自分が分からない。どこか、別人になってしまったような、違和感みたいなものを感じる。

 

今日はおやつの時間まで寝てしまっていた。昨晩は日付が変わる前には寝たんだけどな…睡眠が浅いのか。うーむ。

08.パソコンが壊れた

世間はお盆休み。SNSでは社会人の友達が休暇に歓喜している中、僕は部屋に篭っている。実家には定期的に顔を出しているから、あくまでお盆に合わせて帰省する必要もないかなぁっていうのと、シンプルに外出したくない。

しかし、籠城の供であるノートパソコンがご臨終なされた。電源ボタンを押せばアップルマークは出るものの、少し経てば電源が落ちる。そこから勝手に再起動する。ここから無限ループ。どうやらハードディスク自体は壊れていないものの、ディスプレイの機能がいかれてしまったらしい。

このノートパソコンには修士制作のデータも残っているし、色んなソフトも入っている。写真も。音楽も。定期的にバックアップとっていれば良かったのだが。中々に焦った。まぁ何とかしてデータは取り出して外付けハードディスクに移せた。父親に古いマックを借りて、そこにデータを復元させることに成功。

6年半も連れ添い、だましだまし生かせてきたノートパソコン。この子が息を引き取ったのは辛かった。修士制作の最終提出日に近くなかったことが唯一の救いだったろうかな。

07.別人になったような気分

大学院に入学してから、自分は別人になったと思う。というのも昨日、昔のクロッキー帳をなんとなく開いてみたのだ。

そこに走らされていたペン跡はなんと生き生きしていることか。下手くそなスケッチだらけだったけど、それは驚く程瑞々しくみえた。建築のけの字も分からない青二才が書きなぐった、一生懸命な足跡。いまの自分と照らし合わせると、情けなくて、涙が溢れた。

いまのスケッチブックを開いても、そこには文字の羅列ばかり。先生の発言を一言一句取りこぼさないよう、汚い文字の断片ばかりが残してある。自分の意志がどこにも見当たらない。見直しても、楽しくない。ワクワクしない。かつての自分は何でこんなに頑張れていたのだろう。何を目指していたのだろう。どんなことに希望を抱いていたのだろう。

もう一度、あの時の気持ちを思い出しながら、白紙のスケッチブックに立ち向かってみた。何も書けなかった。ペンが走らない。余計な邪念ばかりが邪魔をして、結局、文字で埋め尽くしてしまう。何をしているのだ。建築はもっと楽しいはずだ。ワクワクを絵にするだけの作業、それも、自分だけしか見ないものなのに、手が動かない。

今日もまた、何も進めることができなかった。「いやいやそんなことない、うまくいかなかったことだって進歩だよ」と、もう一人の自分が囁いてくるけど、そんな考え方が自然にできるんだったら、最初からこんな調子に陥っていない。ちゃんと進めるだろうか。不安ばかり。

自分が、自分でなくなってしまったような感覚。これが病気の症状なのか?そうだとしても、足かせひきづりながらでも、何かをつくらないと。そうしないと、いつまで経っても状況は変わらない。卒業したい。

06.日常生活

備忘録ついでに、日常のことを綴っていこうと思う。

僕が所属する研究室は、ネットにあがっているようなブラック研究室じゃない。コアタイムなんてないし、固定で始業と終業みたいなシステムもない。シンプルに、一週間ないしは二週間おきにあるゼミだけ、参加する必要がある。建築やデザインの研究室はほとんどそんなものだと思う。部屋に閉じこもったってアイデアは出ないことが多いし、フィールドワークやサーベイの時間を考えると、フレキシブルに研究室を使えた方が良い。まぁあと、建築系の教授や准教授は、自分の事務所を構えていることが多いので、学校にいること自体稀、ということもある。一々学生の面倒だけは見ていられないし、先生達の仕事は論文を書き上げることじゃなく、建築作品をつくることにあるから、学校に入り浸って学生を監視するなんて状況は生まれにくい。

そんなこともあって、学校に縛り付けられている、毎日学校に通っている、というような日常ではない。じゃあ何をしているのか?

自分は、落ち込みが激しいとき、基本家で寝ていることが多い。寝ているというか、横になっているというか、小さく縮こまっているというか。携帯を片手に、元気になるような言葉や、同じ症状で苦しんでいる人の記事を見ながら、何とか精神を保っている、みたいな感じだ。端から見たらさぞ気持ち悪いと思う。ご飯もあんまり食べていないし、実際の睡眠時間もそんなに長くはない。そんな状況が三日とか四日続く。

元気なときは、学校に行っていることが多い。そこでイメージスケッチを描いたり、根拠となる論文を見つけたり、本を読んだり、模型をつくってみたり。だけど、昔のようには手が動かないし、思考もメチャクチャだ。それでも、何とか形をつくっていこうとする。

こう、日常を記事にしていると、なんと贅沢な野郎だって言葉が聞こえてきそうだが、どうか勘弁願いたい。

05.うつか甘えか

靴下を履くのが嫌いだ。出掛けなきゃいけなくなるから。

晴れの日が嫌いだ。外に出なさいと言われている気になるから。

人との約束が嫌いだ。その日までちゃんとしてないといけない気になるから。

布団の中から這い出すのが怖い。動き出すのが恐ろしい。だけど、寝ていると「こんなとこで寝ている場合じゃないぞ」と囁く自分もいる。ご飯を食べているときでも「働かざるもの食うべからず」って誰かに言われている気がして気が滅入る。

 

前回の記事から一週間ほど経ったか。結局、進捗を報告するというより、メタな話をすることにした。ゼミが始まる前に、先生と二人で話したいという旨を伝え、自分の状況について相談した。相談が終わってから思ったことは「理解のある先生で良かった」ということだった。この人がうつの原因であることに変わりはしないけど、それでも親身になって話を聞いてくれたし、理解してくれようとする姿勢は、本当に助けられた気分になる。これからどう進んでいくは、やはり分からないままであるけど、何とか今年度で卒業したいという意志は固まった気がする。

それと、もう一度病院に行ってみることにした。薬で治るとも思っていないし、専門の先生の意見を仰いだところで根本的な解決にはならないことは重々承知の上で、「とりあえず話だけでも聞いてもらおう」という、軽い気持ちだ。藁にもすがる思いで病院に行くわけじゃない。少しでも気持ちが軽くなるなら儲けもん、みたいなスタンス。

 

表題を「うつか甘えか」としたのは、最近自分は単に甘えているだけなのかもしれないと思うからだ。ネットで検索してみても、やはりうつは甘えではないか?という意見が見受けられる。うつか、甘えか、の判断基準は「学校or職場に行きたいという意志があるか、ないか」という点にあるらしい。甘えからくる落ち込みは「行きたくない」という消極的な意志があって「行かない」という選択をする。うつからくる落ち込みは「行きたい」という積極的な意志があるにも関わらず「行けない」という結果に帰着する。

つまり、「行きたくないから行かない」のが甘えで「行きたいけど行けない」のがうつ、ということらしい。うーん。分かるような分からないような。自分の置かれている状況を少し冷静に考えてみると、どっちも当てはまるような。精神状態によってその時の気分は変わるから、一概にうつか甘えかの判断はできない気もする。学校に行きたくないときもあるし、行かなきゃって思うこともある。その結果、行けたこともあるし、行けなかったこともあるし、行かなかったこともある。

まぁどちらにしても、三日とか四日とか布団から出られない状況が二週間おきくらいに来ることに対して、元気なときに対策を打っておかないといけないことには変わりない。例えうつであろうが、甘えであろうが、設計が進められない状況というのは、非常にマズい。自分に鞭を打つとダメになることは分かっているから、上手いことやっていきたいと思う。食生活とか生活リズムとか、そういうところから、ちょっとずつ進んでいきたい。