うつ病と大学院生の日記

大学院在学中にうつ病を患った一人の人間。そんな凡人が書く日記。

25.最後の日記

しばらく、日記をつけていなかった。久々の更新になる。何だか、言葉にするのが怖くて逃げていたけど、少しだけ今の思いを載せていこうかと思う。

 

この間、最終提出を終えた。まさか本当に終わりが訪れるとは思っていなかったから、達成感とかよりも驚きの方が大きかった。恐ろしい程に高かったあの日の壁を乗り越えた。

 

思い返せば、提出日に至るまでの二週間は毎日泣いていた。学校の屋上で、うずくまってぐしゃぐしゃになっていた。ここまで涙を流すことはもう無いんじゃないかってくらい。本当に辛かった。思うようにいかない現実とプレッシャーに押しつぶされてぺしゃんこだった。その時に自分へ唱えていた言葉は「とにかく逃げなければいい」だった。今までの自分をフル動員して、その場から逃げることだけは避けていた。耐えて、耐えて、耐え続けた。ここまできてしまったら、後はとにかくやるしかないって思いだけで、心も体もボロボロになっていたけど、なんとかなった。本当に、なんとかなった。発表が終わった瞬間、皆の前で泣き崩れてしまった。

 

今自分の作品を見直すと、粗がそこらじゅうにあるけど、あの時はこれが精一杯だったんだなぁって思う。

 

苦しかった。そりゃもう壊れるくらいに辛かった。何度吐いたことか。何度うずくまって泣いたことか。自分が何をしているのか分からなくなるほどに、とにかく艱難辛苦にあふれた毎日だった。

 

それがいま終わって、途方に暮れている。達成できないと思っていた目標にたどり着いた今。壁の向こうの世界に到達した今。これから何をしていこう。この先が分からない。分からないけど、遠回りでも歩いていけば次の目標に向かって性懲りも無く進んでいくもんだとも思う。

 

通っていた病院も、お守り代わりの薬だけもらって、通院を終えた。色々話したなぁ。提出直前の診察ではかなり参った状態だった。ほんと、とにかく辛くて、寝る時もずっと心臓がバクバクしていた。朝起きるのも辛かったなぁ。

 

何となくブログを続けてきたけど、タイトルにもあるようにこれが最後の日記になる。大学院もこれにてお終い。一応、ブログは残していこうと思う。今までここに残してきた言葉が誰かを励ます結果になれば本望だ。「分かる分かる!」とか「なんだ、俺よりも苦しんでいる人がいるんだ」とか「こんな奴よりかはマシかな」とか、少しでもこの日記を読んで気が楽になってくれれば嬉しい。

 

もしかしたらちょいちょい更新するかもしれないけど。

 

最後に。自分のように苦しんでいる人々へ。生きることをやめなければ、何とかなるよ。傷ついて、挫けて、泣けてきて、自分だけ取り残されたような感覚になって、どうしようもなくなっても、本当、いつか何とかなる。体が動かなくったら休めばいいし、引きこもる日々が続いても大丈夫。前に進まない日もそりゃあると思う。他の人と比べてしまって落ち込んでしまっても、絶対に大丈夫。どうしても押し潰れてしまいそうになったら、誰かに話してみてほしい。友達でも良い。親でも良い。病院の先生でも良い。誰かに話すと、意外と元気になるから。

 

多分、うつ病になる人は真面目な人が多い。自分で掲げたハードルに到達できなくて落ち込んだり、成し遂げられなくて悲しんだり。もっと適当でいい。肩の力を抜いて、リラックス。すぐにはできないかもしれないけど。疲れているなら、思い切って今日は寝てしまおう。元気じゃない状態だと、1時間でできる作業が10時間くらいかかってしまうから。寝てる時間ないよっていうくらい忙しいなら、ちょっとくらいボーっとするのもアリじゃないかな。エンジンかけっぱなしだと、壊れてしまう。

 

自分が残せる言葉はこんなもんだな。弱くてもいい。逃げ腰でもいい。泣き虫でもいい。絶対、笑い話にできる日がくる。これは、絶対。ほんと、絶対。

 

さて、そろそろ締めようかな。ここまで読んでくれてありがとう。少しでも、元気が出てくれれば有難い。

24.もう十分

11月も終わろうとしている。そろそろ12月。提出まで3週間程度になった。最近は完全に頭がショートし、かなり辛い時間だった。人生の中で一番辛い時期なのだと思う。

 

今日は診察日だった。とにかくやばいこと、言葉にするのも難しい程頭がパンクしていること、何が分からないのか分からない状況だってこと、色々愚痴をこぼした。そんな中で、救われた言葉があった。「もう十分苦しんだよ」って言ってくれた。辛くて、逃げ出したくて、もう修士なんてやめたいってくらい落ち込んでいた自分にとって、それは本当に救いの言葉だった。

 

こんなにも苦しんだ、だからもう十分なんだよって言ってくれた。下手っぴな作品だろうと、この苦しんだ時間は無駄じゃないって言ってくれた。先生は頑張れなんて一言も言わなかった。とにかくやるしかない!頑張れ!って言ってくる人たちとは違って、もう大丈夫だよって言ってくれた。そりゃ勿論、これからの追い込みを頑張らないといけないことは確かだけど、それでも、こんなにも苦しんだって認めてくれた。こんなにも優しい言葉、中々見つかるもんじゃない。

 

もう嫌で嫌で、プライベートな日記にはいつも「もう無理」「やめたい」「逃げたい」とネガティブな言葉を羅列していたが、今日は少しだけホッとした気分になった。

 

もう十分苦しんだ。上り坂はここまで。ブレーキを壊さないよう、ゆっくりと坂を下るだけ。

 

学校の方の先生は確かに的確なアドバイスをくれる。間違いなく、その通りにやっていれば良いものはできる。だけどそれは、自分というボロ自転車にバイク用のエンジンを搭載させられたようなもので、それを駆使すれば思いっきり前に進めるが、いかんせん躯体がボロ自転車なので当然ぶっ壊れる。現に自分はぶっ壊れた。ゼミの度にガソリンを注入され、さぁ走れって言われてもそりゃどだい無理な話なわけで。ボロ自転車もぶっ壊れ、重いエンジンは完全に足かせになり、上り坂を手押しで進んでいるような状況だった。それでもガソリンだけはぶっこんでくる。もう進めないくらい重かった。

 

だけど、診療科の先生は、その重くて邪魔なエンジンを少しだけ取ってくれた。もう一度自転車をこぎ出せるよう、背中を押してくれた。もう十分。もう十分苦しんだ。この言葉は、これからもずっと、大事にしていきたい。

 

辛いことには変わりないけど、きっと何とかなる。紛いなりな作品でも、提出すればこの地獄からも逃げ果せる。もう少し。もう少しだ。

23.もうダメだ

もうダメだ…もうダメだ…何回唱えたか分からない。最近の精神状態はとてつもなく安定していない。朝起きれば吐き気と眩暈、風邪かなぁって思うくらいに体がダルい。昼になれば体調は落ち着くものの、心の乱れが激しい。。。もうダメだ…もうダメだ…と頭の中がパニックになっていることが分かる。

 

手は震えるし、涙は出るし、変な汗が止まらない。研究室の隅っこで、自分が涙を流しているなんて、誰も知らないだろうなぁ…弱っている姿をみられたくないというプライドと、ちょっと察して優しくしてほしいなっていう甘えが混ざり合って、もうどうしたらいいか分からない状態。

 

ご飯も喉を通さなくなった。というか食欲がない。寝るのも怖くなった。目覚めればあの吐き気がくるのかとか、憂鬱な朝(たいていは昼)を迎えないといけないのかとか考えだすと、睡眠薬さえ飲むのをためらう。かといって、寝ないでいれば頭は動かないし、体だって弱ってくる。食欲なし、睡眠欲なし、例外なく性欲もなし。何のために生きているのか分からなくなっている。今この時点、文章にはしているものの、頭はほとんど動いていない。何を書いているんだろう。。。

 

分からないことが分からないという最悪な状況に陥った。しかし提出まであと一ヶ月を切っている。途方にくれる。最近は毎日泣いている気がする。親の声も、診療科の先生の声も、右から左へ流れていく。僕はなにを作っているんだろう。僕は何が楽しくて今の生活を送っているのだろう。久々に、死にたいと思ってしまった。死ぬ方法を探してしまった。

 

これはまずい。休息をとりたいところだが、にっちもさっちもいかない状況なので、とにかく手を動かすしかない。今までの人生、全てをフル活用して、ゴミみたいな作品になっても、提出だけはしないといけない。

 

豪速球じゃなくても、変化球じゃなくても、キャッチャーにさえボールを届ければいい。アイドルの始球式なみにへなちょこボールだって、バウンドしたって、なんなら歩いて手渡ししたって、届けばそれでいい。あと何回か恥をさらすだけ。罵倒と叱責に、あと3回くらい耐えれば、晴れて卒業。うん、そう考えよう。良いものは作らなくていい。いい加減なものじゃなければ、それでいい。うん、それでいい。

22.焦るからこそ

めっきり寒くなってきた。ヒートテックを引っ張り出し、風邪をひかないよう対策をうつ。ここで体調を崩しでもしたら、とうとう間に合わなくなる。冬はうつの人が増える季節らしい。皆それぞれに悩んでいて、冬の寒さや暗さがそれを増長させているのかな。太陽が出ている時間も少ないし。

 

最終提出まで、一ヶ月を切ろうとしているこの頃。精神的に荒れる時間が多くなった。それでも、前に進まないといけない。辛い。分厚い壁の前で、どうしたらいいか分からなくなって立ち尽くしている。誰も助けてはくれない。これは自分が選んだ道だから。

 

しかしながら、焦りや不安があるからこそ、なんとかなるもんだとも思った。締め切りに焦って、慌てふためくからこそ、どうにでもなる。結果がどうであれ、本当に、どうにかなる。焦燥も悲哀も感じないのであれば、それは歩みを止めた証拠だ。諦めたことになる。諦めないからこそ、焦るし、不安になるし、眠れない夜も続く。だけどそのネガティブな感情があるから、結果はついてくる。もしかしたら低い評価かもしれない。不合格を言い渡されるかもしれない。そうであっても、結末まで走りきったことは無駄じゃないし、誇っていいことだと思った。

 

なーんてなことを考えていたこの頃。自分の中にある焦りがあるということは、歩みを止めるつもりがないということ。そして必ずゴールテープを切ってみせるっていう意志があるということ。だから、結果も出てくるし、なんとかなるって確信できる。この苦しみも、悲しさも、虚しさも、全部自分だけのもの。誰にも渡せないから、自分の中で大切にしてあげたい。触ったら痛いものかもしれないけど、こいつがあるから、自分は何とかなる。絶対、卒業できる。

 

卒業間近の人たちには辛い時期になりましたね。コンビニの飾りがクリスマス一色に染まり、公園ではイルミネーションが輝いている。キラキラとした街とは裏腹に、真っ暗な気持ちを抱えながら、今日も学校のデスクに向かう。きっと、これが最後の試練なんだと思っている。これからの人生、もっと辛いことがあるかもしれないけど、学生としては最後の戦いだ。勿論、怖いし、苦しい。骨折した足のまま、大きな荷物を担いで登った先に、意地悪にも分厚い壁がそびえ立っていた、、、みたいな気分。ピンチはチャンスだなんて誰かが言っていた気がするけど、ピンチはピンチ。まぁでも、何とかなると信じている。焦っているから。今日も自分に、大丈夫、大丈夫、大丈夫、と唱えている。

21.絶望感

最近になってまた症状が悪くなってきた。原因は当然ながら制作のこと。うまくいかないときは誰しも不安だったり悲しみにくれると思うけど、僕の場合は酷いレベルにまで落ち込む。メンタルが弱い。薬を服用しているとはいえ、結局はその場しのぎでしかない。うーん、メンヘラと言われても仕方のない状態だ。誰かにすがりつきたいし、泣きつきたい。

 

朝起きることができなくなった。いや、起きてはいる。だけど、布団から出ることができない。8:00のアラームをとめ、さて起きるかと思うも、体がいうことをきかない。なにせ起きたら、また樹海の中を散策するような日常と立ち向かわなければならないから。闇。一面の暗闇。ゴールテープはきっとどこかにあるはずなのに、それが見えない。どこが前で後ろか。上か下かも分からない。永遠と続く暗闇を歩かされるような感覚は、うつ症状が酷いときにくる。まさに今がそれ。目を開けても、目を閉じているかのような真っ暗闇。

 

おおむね、昼過ぎになってやっと布団から這い出すわけだが、学校に行きたくもないし、かといって家にいたくもない。自分が行きたい場所も分からない。逃げたくない、投げ出したくないとは思うけど、体がそれに追いついてくれない。割と無理しながら学校にはいつも行っているけど、パソコンの前で泣きたくなる。あぁ、そういえば今日は家のベランダで泣いてしまったな。

 

いつか終わる、必ず卒業はできる。それは分かるけど、モチベーションが完全にゼロになってしまった。手が止まる。思考が止まる。あれもしないと、これもしないと、あぁあっちもどうにかしないとって、焦りばかりが募っていく。順調な同輩をみていると、どうしたって絶望感に襲われる。

 

心を落ち着ける術は色々知っているはずなのに、今日はそれが全く通用しなかった。憂鬱の中、今日も図面とにらめっこ。どうしたらいい。どうすれば解決できる。「なんとかなるさ」と思い込んでも、それを握りつぶすように、不安感がべっとりと背中にはりつく。動機、吐き気、倦怠感。体も心もSOSを発している。だけど、休んでいたら、間に合わない。デッドラインは着実に迫っている。どうする。どうする自分。

 

今にも泣きそうな気分だが、とにかくやることでしか解決はされないと思うので、今日も頑張る。休んだ方がいいのかな。それも分からない。正常な判断ができそうにない。一度全部シャットダウンして、休息をとった方がいいのか。いや、どうだろう。

 

なるほど、これが絶望ってやつか。希望の光は、一体どこにあるのだろうか。今日も今日とて、暗闇の中を這いずり回る。いつか訪れる終わりだけを信じて。

20.間に合わない

「間に合わない。修士制作、間に合わない。」ずっとそんな言葉が頭の中をぐーるぐる。手を動かすことができず、迫り来るデッドラインへの焦燥を抑え込む毎日。不安と焦りが、自分の手をとめている。どうしたものか。いつもタイムマネージメントは苦手だ。どれだけの作業量に、どのくらいの時間を割り当てるべきか、いつも迷う。そして失敗している。妥協と諦めを使って、提出自体は何とかこなせているものの。

 

今日は診察日だった。シンプルに今の焦りを伝えると、やっぱり焦りすぎな性格を指摘された。ただ、一つ響いた言葉がある。「良いものをつくろうとするのではなく、いい加減なものをつくらないようにする。」なるほど、確かにそうだと思った。良いものを作ろうとして、本当に素敵な作品ができれば最高だろうが、今の自分にできる精一杯を注ぎ込んで紛いなりにも提出すれば、それは良いものになり得るのだと。つまり、つくったものが、意外と良いものだったって、後天的に成果が追いついてくるイメージ。確かに、提出する前に評価を想像している場合じゃないよな。結果は後からついてくるもの。いつか訪れる締め切りに焦って最悪な結果を想像するよりも、とにかく何か提出して、評価は後で待つ。それが悪いものだとしても。

 

親にも、良い言葉をもらった。「何とかなる。何とかならなくても、うちに帰ってらっしゃい」うん、何とかならなくても、きっと大丈夫なのだと思った。帰る場所がある。いつか終わりはくる。何とかなる。たとえ何とかならなくても、終わりはくる。教員に失望されようが、叱責をくらおうが、何とかなる。「何とかならなくても、大丈夫」。そう思うだけで、少し心が落ち着く。

 

とにかく、ゴールテープを切ることが大事だ。歩くようなペースで進んだ方が、焦って全力疾走するよりも早くゴールするかもしれない。うさぎとカメみたいに。中間講評が終わって、やるべきタスクの多さに茫然自失していたけど、うん、何とかなる。何とかならなくても、提出できれば大丈夫。診療科の先生にもよく「紛いなりにも、だ」と言われる。汚い作品になろうとも、失敗だったねって笑い話にすれば良い。今はとにかく、やり遂げることが重要なのだ。

 

ここのところ、気持ちが安定しておらず、辛い日々を送っていたが、ここで一旦落ち着こうと思う。大丈夫、本当に、大丈夫だからと、自分に言い聞かせながら。

19.中間発表終わり

先日、修士制作の中間発表だった。結果としては、悪くないっていう感じ。「迷ってます」「検討予定です」という便利な言葉を使って逃げてしまった印象もあるけど、これからはそれらをガシガシと決めていかないといけない。どうしたってデザイン系は、良いものを作ろうとすると、その際限がなくなる。良いものに上限はなく、思考を詰め込めば詰め込むだけ、その洗練度は上がっていくからだ。だけど、いや、だからこそ、デザインを中心にする職種は、毎日終電帰りなのだと思う。答えのないものに、答えらしきものをあてがう勇気。ある意味で、諦めの美学がそこには必要で、「こう決めた!」って迷いなく思えないと前に進めない。だからこれからは、まだまだ未決定の事項にドンドン解答を与えていかないといけない。

 

そういった答えらしきものを与える作業には当然だけど不安が付きまとう。もしかしたら間違っているのかも、大前提から勘違いしていないか、入れ忘れている情報があるんじゃないか。そうやって、答えを出すことを先延ばしにして、結局迷ってばかり。今もそうだ。全然前に進める気がしない。不安と焦りが、心臓の鼓動をより早く動かしてくる。

 

やらないといけないことは沢山ある。ありすぎて、どこから手をつけたらいいのか、その優先順位をつけることすらも難しい。抗うつ剤を飲んでも、結局はその場しのぎの処方に過ぎない。

 

かつての自分は、中間発表が終わる頃には、ガシガシ制作を進められると思っていた。それがどうだろう。かつての自分と何も変わっちゃいない。ようやくここまで辿り着いたんだって、感慨や興奮みたいなものはあるけど、それ以上に不安と焦りの方が大きい。まだまだ道のりは長い。ゴールテープが少しだけ見えてきたけど、超えなくちゃいけない壁がまだ沢山待っている。ちゃんと走りきれるかな。うーん。今日は休もうかな。頭が回らない。気持ちの良い天気と気温だというのに、やる気だけは下がり調子だ。ふむ。前途多難。それでも、前に進まないといけない。いや、前に進まなくてもいい。途中で休んだって、横道に逸れたって、別に構わない、そう考える。そうしないと視界が狭くなっていく、用意された分岐点に気付くことができなくなる。

 

ゆっくり、落ち着いて、一歩ずつ。